めめの徒然日記

めめさんのつぶやき

昔は人に嫌なことをされるたび「自分が弱いからだ」と思って責めていた…めっちゃ損で間違った考えだったと今ならわかる

多分これ、HSPあるあるだと思うんですけど…

 

サイコパスみたいなやつに心身をボロボロに傷つけられても「弱い自分が悪いんだ、もっと要領よく立ち回れなかった私の責任だ」みたいになっちゃってる人、まだまだ多いと思うんですよ。

 

これってつまり「いじめられる側にも問題がある」という典型的な思考回路。

 

HSPを知る前の、学生時代の私がまさにそうでした。

 

当時私は、看護学部の教員に再起不能なくらい傷つけられたんです。

 

それで体が完全におかしくなって、休学したものの体が思うように動かせない地獄をさまよっていたんです。

 

その間も、強く立ち回れなかった自分を責めてましたからね。

 

自分が馬鹿だった、自分がもっと強く出ていれば、ってずっと思っていました。

 

誰がどう見ても相手が悪いのに、自責の念がぬぐえなくて、余計苦しんでいたんです。

 

「図太い神経」というものがなかなか持てない性質なんですよね(笑)

 

これももうね~、本当に損な性格だなあと思ってたけど、今になってみると、そもそも対処法を間違っていたんです。

 

自分は人よりどうしたって優しすぎるんだから、やばい人、意地悪な人にまともに立ち向かったら搾取されるだけなんです。

 

馬鹿な小細工してその場にとどまるんじゃなくて、とにかく逃げるべきだったんですよ。

 

そもそも弱いこと、力のないこと、優しすぎることは罪でも何でもありません。

 

今ならそう思えます。

 

どう考えたって人の痛みが分からない人のほうが何倍も罪深いです。

 

権力を振りかざして人をいじめるやつ、傷つけるやつの頭がおかしいんですから!!

 

こういう人間は結局話が通じないから、恨みも買いまくってるし、いずれいろんな人から相手にされなくなっていきますんで。

 

 

もしもこの理不尽な世界で「弱い奴のほうが悪い、やられる側にも責任がある」っていうのを正当化しちゃったら、いじめとか、差別とか、もっと飛躍させたら戦争で虐殺される側とか、まあ悲惨な話は世の中いろいろあるけど…これらの理不尽な暴力は全部被害者の責任でもあって、やられるほうも悪い、ってことになっちゃうじゃないですか。

 

76年前に原爆を落とされた街の市民は確かに無力だったでしょうが、それは罪ではありませんよね。

 

一方的な暴力を受けてしまったときに、自分を責めることは、自分を弱めてしまうだけでなく、悪人や邪悪な所業に余計力を与えてしまうことになるんです。

 

言葉の暴力にせよ、物理的な暴力にせよ、やるほうが悪いに決まってます。

 

そりゃあ何らかの暴力をやる側、やられる側という区別をするなら、確かに力関係はあるでしょう。

 

でもやっぱりそれを盾に暴力を正当化していいわけがないだろ、って今なら思うんです。

 

力なきものを一方的に蹂躙することは許されることじゃない、と今なら思えます。

 

例え立場が弱くても、気が弱くても、病気だろうと障害があろうと、馬鹿にされたり虐げられたりしていいわけがない。

 

そもそも自分は強い、なにやってもいいんだ、って思ってるやつ、世の中見渡せば結構いるけども…

 

貴様は一体何様なんだ?って話なんですよ。

 

そもそも人生の勝ち負けなんて、棺桶に入るまで絶対分からないし。

 

今職場で威張り腐ってる人だって、転職したらその態度は通用しなくなるわけだし。

 

パワハラしてる経営者だって、会社倒産したら終わりですし。

 

人生一寸先は闇。

 

だけど見方を変えたら、HSPの人のように優しい生き方をしてる人にとっては、人生は一寸先は光かもしれない。

 

人生の本当の価値に気づきやすいHSPだからこそ、目先の損得を超えて、素晴らしい景色を見れる日も来るのかもしれない。

 

だから自分のような繊細さんに今言えることは、自分の持ち味はそのままに、とにかく腐らず生きていようぜ、っていうことですね。